■好きな言葉は「必至無量光明土 諸有衆生皆普化」
『正信偈』のお言葉です。「阿弥陀様のお力によってお浄土に必ず生まれていく、すべてのものは阿弥陀如来の大きな願いの中にある」という意味を持つこの言葉を大切にしています。
身近な方を亡くされたり、ご病気の時に感じることは、「ずっと頑張ってきたのになぜこんな目に遭わなければならないのか」というものではないでしょうか。これを埋めることができるのは、亡くなった後にお浄土に行けるということではなく、私の出来事の全てが尊いという、私をそのままに認めてくださる阿弥陀如来の眼差しでしょう。
自身の歩んだ道を改めてふり返るとこの言葉に対する味わいがより深まり、このみ教えに出遇えたことに益々感謝の念を抱きます。「悲しみは変わりませんが、その悲しみは決して無駄ではない。私の生まれてきた、そして生きてきた意味は、悲しみの中にもある」という阿弥陀如来の救いの御心をお伝えさせていただきたいと思っています。
■仏教とは、自分の殻の外にある、新しい価値観を知るということ
仏教と出会うことで、あなたが思い描いている価値観だけがすべてではない、ということを知っていただきたいと思います。私達は、「自分はこんなものだろう」という殻を作ってしまうことが多く、昨今はその殻がより小さくなっているように感じます。
私達の苦しみは多くが自分が作り出したものです。それを自分の小さな殻の中に閉じ込めるから苦しみとしか思えないのですが、そうではないという眼差しがあるということに出遇ってほしいのです。当寺は、そういう出遇いのある場にしたいと日々努めています。
■社会活動も精力的に行う日々
僧侶になったばかりの頃に阪神淡路大震災が起きました。とても衝撃を受け、先輩の僧侶と一緒に神戸へ行き現地の方の悲しみと苦しみに触れさせていただきました。物資を現地へ運び届けていく中で、本当に困っている人がいるのに素通りすることは、僧侶として、人間としてあってはいけないことだと感じ、そういった活動を続けていきたいと思ったんです。
NPO法人アーユス仏教国際ネットワークという団体の活動に参加している先輩からお声掛けいただき、AIDSの方を見守るタイの僧侶の方々と出会い再び衝撃を受けました。そのことをきっかけに、アーユスの会員となって今は団体の理事を務めています。神戸以来、震災や天災が多かったですから、何か起こった時には、身が空いていればそこに寄り添いたいと思っています。活動の一つとして、いまだ大変な状況にある福島に年1回赴き、出張法話会をさせていただいています。