■平凡な青春時代を過ごし、僧侶になってからは生老病死に向きあう
縁あって寺に生まれ育ちましたが、住職になることを意識し出したのは高校生の頃でした。ですが、高校を卒業してすぐにその道へ入ったわけではありません。大学は一般の大学へ行きました。スキー同好会に入ってずいぶんのめりこみました。そんな青春時代を過ごしましたね。
大学3年生の時に、夜間制の東京仏教学院へ通い始め、その間に得度をして卒業。その後、仲良くしてくださったお坊さんの先輩のつながりで、一僧侶として伝道資料センターや築地本願寺でさまざまな活動に精力的に取り組んできました。
そして住職になったのが、平成17(2005)年です。この年は、身の回りでいろいろなことが起きた年でした。3月に祖母が亡くなり、6月に子どもが生まれ、9月に先代住職が往生しました。立て続けに衝撃的なことが起こりましたが、人として、住職として本当にいろいろなことを考えるきっかけになったスタートでした。
■お寺は、誰もが入って来ることのできる多目的な場所
私が住職として取り組んでいきたいことは、「お寺の敷居を低くする。暗いイメージを変える」ということです。いろいろな方に「お寺に自由に入ってください」と言っても、なかなか入っていただけないことがやはり多いです。
当寺は目立った特色のあるお寺ではないですが、施設としては様々な年齢層の方に利用していただけるよう考えました。例えば、車椅子の設置や、多目的トイレ、そして赤ちゃんのおむつ交換ができる場所も用意しているので、お子さん連れの方も安心して来ていただけます。まわりの人に迷惑がかかると気兼ねされる親御さんがいらっしゃいますが、この場所をそういう雰囲気にしてはいけないという心掛けは常にしています。
「お寺は嫌な所ではない、門が開かれている」ということをいかにして伝えるか。人の流れを変えていく、それがご縁作りとなって、お寺が代々続いて行くことができるのだと思います。
■すべての行いが、教えに通じていることを忘れない
細かいことにはなりますが、「ちゃんと手を合わせてお念仏を称える」ということをお伝えしています。大人がしっかりしていれば、その背中を子どもは見ている。難しい阿弥陀様やお浄土のお話は、子ども達にとって最初から分かるものではありません。まずは手を合わせるという作法を身につけてもらい、お念仏の称え方を覚えてもらうことが住職の大切な役目だと考えています。
また葬儀では、葬儀業者に事前にご本尊や写真の位置まで細かく指示を伝えます。常に「この葬儀は1度きりのもの」ということを念頭に置き、お飾りをしっかり整え、きれいな声、そして正しい音でお勤めし、身なりもしっかり整える。こういったことを繰り返し行えば、教えというのは伝えることができるのではないかと思うのです。