昭和の初め、茨城県結城市・称名寺のいわゆる“下寺”正徳寺の渡辺秀心が立川市錦町で始めた説教所が起源。独立して自らの寺院を持ちたいと考えていた秀心が、姉の嫁ぎ先がある立川をその地に選び、現在の立川駅付近に説教所を建て、布教を開始したことから光西寺の歴史は始まる。戦後(昭和20年代)、現在の羽衣町に墓所を作り、本堂などの建物は昭和30年代に建立された。山号の「箕輪山」はかつてこの地にあった「箕輪城」に由来し、現在「箕輪」は町会名にもなっている。もともと立川市は浄土真宗本願寺派の寺院がなかった地域である。新潟・北陸や広島・鹿児島などの真宗地帯からこの地に移り住んできた人々の中には本願寺派の門徒が多く、そうした人々からの布教の要請があったことも、この地に寺を建立するきっかけになった。現在でも光西寺の門信徒には、これらの地域の出身者が多い。