開基である宗元(そうげん)法師は、俗名を中島丹助といい、江戸時代後期の寛政年間に滋賀県の近江から移り住み商売をしていた人物だ。信仰篤く、商売を息子に譲ったあと得度して僧侶となり、中山道沿いに出していた店の横に説教所を開いて布教を始めた。この地には他にも近江商人が集まっており、商家を中心に門徒が集まったという。
この説教所を母体として、文政7(1824)年に願誓寺が起立。約30年後の安政2(1855)年には、現在の願誓寺の隣に建つ曹洞宗の寺院の寺領を譲り受け、この地へと移った。当初は本堂がなく、閻魔堂を本堂として使っていたのではないかと現住職は話す。
現在の本堂は明治5(1872)年に建てられたもの。今も当時の骨組みが残されている。本堂中央の欄間は平成30(2018)年に塗り直され、鮮やかな色を取り戻した。その奥には、平成元(1989)年に塗り直した阿弥陀如来像が輝いている。向かって左手には、願誓寺が創建された時期の一代前にあたる、本願寺第18代門主文如(もんにょ)上人の御影が見える。聖徳太子尊形と親鸞聖人御真影は、昭和40(1965)年に深谷市指定文化財に登録されたものだ。