■「若い街」に設立された新しいお寺
浄土真宗では、昭和50年代からお寺のない街にお寺を作る首都圏都市開教プロジェクトを進めて参りました。私たち善行寺もその一環です。では、なぜ川口市北部の東川口駅エリアだったのか。以前海外開教使としてカリフォルニアのお寺におりましたが、日本に行ったことのない、日本語も話せない子供たちが日曜礼拝に来て、”ナモアミダブツ”とお念仏を申し、英語での法話を聴聞している。その姿にとても感銘を受けました。浄土真宗では、次の世代につなげるという施策を非常に重視しております。東川口のような若い世代が多い地域で仏様の教えを伝えることは、とてもやりがいがあるのではないかと思いました。
東川口は、昭和40年代に貨物線だったJR武蔵野線(当時の国鉄)が旅客に転用され、人口が増えました。さらに日韓共催のW杯があった平成14(2002)年、埼玉スタジアムの建設に伴い東京メトロの南北線を延伸。この2路線が東川口で交差し、利便性が一気に高まりました。こうして段階的に街づくりが進められたおかげで、昔からお住いの方々、昭和50年代に移り住んで来られた団塊の世代、ここ10年で加わった若い世代など、東川口は世代のバランスがいいんです。
■北米開教区での経験から芽生えた思い
カリフォルニアには、本願寺フレスノ別院の次席開教使として5年間ほどおりました。お寺にはさまざまな方が参拝にいらっしゃいましたが、まずは、日系アメリカ人。彼らは代々お寺に通っておられるので、仏教・浄土真宗になじみがあります。次に、ご夫婦のどちらかが日系アメリカ人というケース。昔は日系人同士の結婚が主流でしたが、今はお相手が白人の方、黒人の方、ヒスパニック系、中国系アメリカ人など多様化しています。そのため、夫と妻、どちらの宗教を選択するのか話し合い、仏教を選択されたという方がいます。さらに、平成13(2001)年の9・11の後、初めてお寺を訪ねて来られる方が増えました。仏教徒に改宗したいとおっしゃる方もいます。歩んできた道も価値観も違う人が集まる場で、私自身、日々勉強でした。
日曜礼拝の朝、本堂で準備をしていると少しずつ人が集まってきて、順に焼香して座っていくんですよね。10時には本堂がいっぱいになります。250人くらいでしょうか、その中には小さいお子さんも多い。私が渡米した頃、フレスノ別院が設立されてちょうど100年を過ぎた頃で、それはつまり、戦争や災害が起きても先輩たちはお念仏を大切に相続されていたということなんです。そうやって若い世代に想いをつなげていくということ。それが、東川口での都市開教にも通じると実感しています。
■坊守と共に「みんなの寺」を目指す
坊守とは、海外開教使をしている時に出会いました。実は、坊守の実家も同じ浄土真宗本願寺派のお寺で、彼女は元々海外開教使を目指していました。しかし見聞を広めるつもりで就職し、いつかお寺に戻ろうと思いながら、タイミングを逃してしまったとか。それでもずっと心の中に開教使になりたいという思いはあったそうで、結婚後は2人で協力し合い、ここまでやってきました。
善行寺で定期的に発行している寺報には、住職と坊守、そして2人の息子がそれぞれ自分で書いた文章を写真付きで掲載しています。ここは新しいお寺なので代々続くご門徒さんというのもいらっしゃいませんし、こちらの人となりを積極的に発信し、知っていただくことが、みなさんにとっての安心につながると考えています。また、子育てサークルや茶話会、町内の夏祭りに本堂ツアーを行うなど、初めての人でもお寺に来られるようなオープンな場も大切にしていきたい。お寺は住職や坊守のものではなく、みなさんのお寺。それが本来の形なのではないでしょうか。