文字サイズ

  • 普通
  • 大きく

りゅうとうざんけずいいん ぜんぷくじ龍頭山華水院 善福寺

神奈川県西部、南足柄市に鎮座する善福寺は、約800年の歴史を持つ古刹である。当地に本堂が移されたのは江戸時代中頃。背後には雄大な明神ヶ岳を控え、高台の境内からは麓に広がる街が一望できる。

二十九代目の伊東昌彦住職は、内外の交流を積極的に行い地域にも貢献、少年補導員や教育委員会委員などを務めた経歴を持つ。

常に新しいことにチャレンジする精神を併せ持ち、近年では能を本堂で開催。今ではこの地域の晩秋の風物詩として定着しつつある。

善福寺を地域住民の心の拠り所になるような、親しみのある場所として一般開放している。

歴史

浄土真宗の宗祖・親鸞聖人常随の高弟である平塚入道了源上人が創建。当初は天台宗に帰依し、鶏足山高麗寺大権現(現・大磯町高来神社)の別当職としての任を担っていた。その後、親鸞聖人との出会いがきっかけとなり、浄土真宗に改宗。延応元(1239)年になると現在の善福寺が建つ台地の麓・壗下(現・南足柄市壗下公民館)に阿弥陀堂を建立。以降、この地域と善福寺の縁を結ぶ起源となった。

当時、善福寺は大磯の地にあり、そこを祖山としていたが、小田原北条氏の治政の時代に浄土真宗の禁制があり、寺が打ち壊しの憂き目にあった。そこで寺基が阿弥陀堂のある壗下(まました:現神奈川県南足柄市)に移された。禁制解除後には大磯にも祖山善福寺が復されたものの、本山・本願寺の東西分派に伴い、西本願寺の法灯を守るため壗下善福寺は残されることとなった。

そして、およそ300年前の江戸時代中頃には、この地域を流れる酒匂川の度重なる氾濫を避けるため、現在の高台に移設。本堂は文化二(1805)年の再建であり、山門は小田原城家老職・大久保忠衛の屋敷門を移築したものが現在も残されている。

住職インタビュー

■理想の僧侶像を目指し、邁進する日々

祖父がこの寺の住職で、父は都心で働くサラリーマンでした。私は東京に生まれ育ち、幼い頃は、よくこのお寺へ遊びに来た思い出があります。小学生の時には、父が会社員との兼業で住職を引き継ぎました。毎週日曜日には、父からお経のレクチャーを受け、法衣を纏いお勤めする父の姿を見ていましたから、将来的には自分が後継になるのだろうという意識は、ずっと頭のどこかにあった気がします。

そうは言っても高校時代には、音楽好きが高じてバンドを組み、ロックスターを夢見ていた時期もありました(笑)。それから仏道に邁進しようと決心し、得度したのが大学生の頃でした。これからどんな僧侶になっていくべきか、自分にとっての理想の僧侶像を模索する中で、説法が得意な方やボランティア活動を積極的にされる方など、それぞれ自分なりの形で秀でている先輩方に出会いました。

そんな中、最も感銘を受けたのは、勉強家な先輩の姿です。もともと私はシャイな性格であり、人前で話すことが苦手でしたから、性格的にも合っていたのかもしれません。その先輩は仏教の思想的な観点だけでなく、学問的な視点からも造詣が深い方でした。そんな先輩を見て「先輩のように仏教について突き詰めたい。仏教のことをもっと学問的に深く学びたい」と思うようになったのです。大学卒業後は、この寺に務めながら東洋大学の大学院へ通い、仏教学を学びました。そこでは教えを習得するだけではなく、仏教が日本文化と複雑に絡み、日本人の生活にどのように大きな影響を与えてきたかを知ることができました。

令和の時代になっても変わらず私たちの生活の根底には仏教があります。ですから、これまで学んだことを活かしながら、僧侶として、歴史や伝統を重んじることはもちろん、仏教の意義や大切さを人々に伝えていけたらと思います。

 

■地域との交流を通して見えてきた住職の役割

父から継承し、住職となったのは40歳のときでした。私で二十九代目、これだけお寺が長く続いていることでもわかるように、ご門徒さんとの関係はもちろんですが、この地域は歴史が非常に長く、住人同士の絆も強いのです。住職になりたての頃は、その地域住民の輪に「新参者の私が仲間入りできるのだろうか」というプレッシャーから苦悩し、体調を崩すこともありました。しかし、息子の通う小学校のPTA役員になったことをきっかけに、積極的に街の人々と交流して親しい関係が築けるようになり、ようやく住職として認められたかのように思えます。

その後、神奈川県警松田署の少年補導員や南足柄市教育員会などにも参加。地域に貢献してきたことで、自ら自分自身の役目が広がり、それと同時に住職としての役割も果たせるようになりました。また、そこでつながった人との縁をさらに広げることで、全く新しい試みにもチャレンジできたのはよい経験です。毎年、報恩講の時期に善福寺のお堂で開催する能舞台もその一つ。今年で7年目になりますが、ご門徒さんだけでなく、一般の方が多く観に来られて、大いに盛り上がる恒例行事となりました。

近年では、近親者の死が経済的な負担となり、お寺離れが進んでいます。だから、私たち僧侶は、死者を弔うことの大切さをはじめ、信仰心を持つことや日々の生活に仏教が溶け込んでいる意味、その必要性を改めて伝導していく役目があると思っています。一般の方が訪れる能舞台は、そのきっかけになればいいなと思っているので、これからも続けていくつもりです。そして、いつまでも親しみのある場として善福寺があり、その中心に仏教があるということを知ってもらえたらいいなと思います。だから、もっと気軽に足を運んでもらいたいですし、どんな些細なことでも一度相談してもらいたいですね。悩んでいる人を救済するためにあるのが仏教ですから、きっとお役に立てると思います。

葬儀、法事・法要

善福寺では、主に地域との結びつきが強いため、神奈川県西部や秦野市などで葬儀、法事を行うことが多いが、門徒との縁を大切にしているため、全国どこでも駆けつけるとのこと。

本堂や会館での葬儀、法事も可能。境内にある善福寺会館で葬儀をする場合には、お斎席から最後の納骨まで、移動することなく、同じ敷地内ですべて執り行うことができる。遺体安置のための専用保冷庫も完備しているので、安心だ。

伊東住職は、お勤めする際、基本に忠実に一つ一つの作法を心を込めて行うことを心がけているそう。亡くなられた方やその遺族にとっては数年に一度の大切な式であるため、その思いを背負う責任があると語ってくれた。葬儀や法事においてわからないことや相談したいことがあれば、一度気軽に話してほしいとも話してくれた。

墓・納骨堂

境内はいつでも自由に散策可能。希望があれば空き区画の案内や、永代供養、葬儀の生前相談、供養の方法とそれぞれの手続き、費用などについて丁寧に説明してくれる。電話または問い合わせフォームからいつでも問い合わせ可能(http://www.zempukuji.or.jp/nagare)。

高台にある境内墓地からは街一帯が見渡せる。樹齢300年とも言われる大銀杏が威風堂々と立ち、秋には一面黄色い絨毯をしたような絶景を見せてくれる。

永代供養やペット同伴可能な墓地も完備。料金はHPをご確認ください。

イベント情報

報恩講 (毎年10月 最終土曜日・日曜日)

善福寺の報恩講では、鎌倉能舞台による能が行われる。今年で7年目の開催となり、荘厳な本堂で披露される舞と謡は正しく幽玄な雰囲気を醸す。この地域の風物詩としても定着しつつある。

楽友会(歌の会)(毎月第4木曜日 13:00~15:00)

ソプラノ歌手の橋本京子先生を講師に迎えて歌の会を開催。童謡から仏教讃歌まで大きな声で歌って楽しめる。女性はもちろん男性も大歓迎。

参加費は1回につき1,000円。

スウィーツ教室(毎月第4火曜日 10:00~)

善福寺会館でスウィーツ教室を開催。昼食付。季節の果物を使用したケーキや焼き菓子など、美味しく作る秘訣やレシピも詳しく教えてもらえると大好評。レパートリーも増えること間違いなしだ。

どなたでも参加可能。参加希望の方は、善福寺までご一報ください。 材料費等の実費2000円

寺院情報

寺名(ふりがな) 龍頭山華水院 善福寺 (りゅうとうざんけずいいん ぜんぷくじ)
住職 伊東 昌彦(いとう まさひこ)
郵便番号 〒250-0106
住所 神奈川県南足柄市怒田153
電話番号 0465-74-0371
FAX番号 0465-72-2026
ホームページ http://www.zempukuji.or.jp/
交通

【車】

東名高速大井松田I.C.より約10分、または大雄山線大雄山駅より約5分

 

【電車】

小田急小田原線「新松田駅」から車で15分

 

駐車場 30台
地図