■理想の僧侶像を目指し、邁進する日々
祖父がこの寺の住職で、父は都心で働くサラリーマンでした。私は東京に生まれ育ち、幼い頃は、よくこのお寺へ遊びに来た思い出があります。小学生の時には、父が会社員との兼業で住職を引き継ぎました。毎週日曜日には、父からお経のレクチャーを受け、法衣を纏いお勤めする父の姿を見ていましたから、将来的には自分が後継になるのだろうという意識は、ずっと頭のどこかにあった気がします。
そうは言っても高校時代には、音楽好きが高じてバンドを組み、ロックスターを夢見ていた時期もありました(笑)。それから仏道に邁進しようと決心し、得度したのが大学生の頃でした。これからどんな僧侶になっていくべきか、自分にとっての理想の僧侶像を模索する中で、説法が得意な方やボランティア活動を積極的にされる方など、それぞれ自分なりの形で秀でている先輩方に出会いました。
そんな中、最も感銘を受けたのは、勉強家な先輩の姿です。もともと私はシャイな性格であり、人前で話すことが苦手でしたから、性格的にも合っていたのかもしれません。その先輩は仏教の思想的な観点だけでなく、学問的な視点からも造詣が深い方でした。そんな先輩を見て「先輩のように仏教について突き詰めたい。仏教のことをもっと学問的に深く学びたい」と思うようになったのです。大学卒業後は、この寺に務めながら東洋大学の大学院へ通い、仏教学を学びました。そこでは教えを習得するだけではなく、仏教が日本文化と複雑に絡み、日本人の生活にどのように大きな影響を与えてきたかを知ることができました。
令和の時代になっても変わらず私たちの生活の根底には仏教があります。ですから、これまで学んだことを活かしながら、僧侶として、歴史や伝統を重んじることはもちろん、仏教の意義や大切さを人々に伝えていけたらと思います。
■地域との交流を通して見えてきた住職の役割
父から継承し、住職となったのは40歳のときでした。私で二十九代目、これだけお寺が長く続いていることでもわかるように、ご門徒さんとの関係はもちろんですが、この地域は歴史が非常に長く、住人同士の絆も強いのです。住職になりたての頃は、その地域住民の輪に「新参者の私が仲間入りできるのだろうか」というプレッシャーから苦悩し、体調を崩すこともありました。しかし、息子の通う小学校のPTA役員になったことをきっかけに、積極的に街の人々と交流して親しい関係が築けるようになり、ようやく住職として認められたかのように思えます。
その後、神奈川県警松田署の少年補導員や南足柄市教育員会などにも参加。地域に貢献してきたことで、自ら自分自身の役目が広がり、それと同時に住職としての役割も果たせるようになりました。また、そこでつながった人との縁をさらに広げることで、全く新しい試みにもチャレンジできたのはよい経験です。毎年、報恩講の時期に善福寺のお堂で開催する能舞台もその一つ。今年で7年目になりますが、ご門徒さんだけでなく、一般の方が多く観に来られて、大いに盛り上がる恒例行事となりました。
近年では、近親者の死が経済的な負担となり、お寺離れが進んでいます。だから、私たち僧侶は、死者を弔うことの大切さをはじめ、信仰心を持つことや日々の生活に仏教が溶け込んでいる意味、その必要性を改めて伝導していく役目があると思っています。一般の方が訪れる能舞台は、そのきっかけになればいいなと思っているので、これからも続けていくつもりです。そして、いつまでも親しみのある場として善福寺があり、その中心に仏教があるということを知ってもらえたらいいなと思います。だから、もっと気軽に足を運んでもらいたいですし、どんな些細なことでも一度相談してもらいたいですね。悩んでいる人を救済するためにあるのが仏教ですから、きっとお役に立てると思います。