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てんござん えんしょうじ天護山 圓正寺

東京メトロ日比谷線築地駅から地上に上がると、築地本願寺の威容が広がる。その広大な敷地から晴海通りを隔てた南西の一画が、築地場外市場だ。圓正寺は、活気あふれる場外市場の店々の只中で、昔のままの姿を保っている。

現在では「場外市場の中にお寺があるのか」と驚きも感じるが、歴史をたどれば、ここは元々門前町。築地本願寺は門前町に58ものお寺を擁していたという。大正12(1923)年の関東大震災により、ほとんどのお寺が移転をしたが、圓正寺はこの地に残り、門前町だった時代の名残を今に伝えている。

歴史

圓正寺は、江戸時代初期、元和3(1617)年に、本願寺第12代宗主・准如上人に依り、浄土真宗本願寺派の根本道場として江戸横山町に創建された浅草御坊の子院の1つで、寛永7(1630)年、本山からご本尊と寺号を拝受して、空誓が開基した。

明暦3(1657)年の江戸大火で、浅草御坊は焼失。江戸幕府から移転先と指定された場所は、なんと、八丁堀の海の上だったという。その面積、3万㎡。佃島門徒を中心に海の埋め立てを行い、敷地を整備し、延宝7(1679)年に、浅草御坊は、現在の築地の地に再建された。

大正12(1923)年の関東大震災で東京は壊滅し、寺町・築地御坊にあった子寺のほとんどが、世田谷区や杉並区等、別の地に移転した。しかし圓正寺は、昭和3(1928)年から再建を進め、昭和6(1931)年に落成し、今に至る。圓正寺には、寺院の完成を祝う落慶(らっけい)法要の写真が残されており、当時の賑やかな様子を伝えている。

圓正寺の建築は、横浜の大工の手によるものだという。唐破風を見せる本堂と、銅板葺きの庫裏、墓地が設けられている。吹き抜けの天井は高く、本堂の2階は回廊になっており、独特の空間だ。

本堂の奥、ご本尊が安置されている須弥壇はかなりの高さになっている。外からご本尊を参拝した時に、丁度、お顔が見える高さに設計されているそうだ。

本堂の畳敷き部分の右側を見上げると、「念仏があらゆるところに響くように」という意味の「響流十方」という書が掛けられている。これは本願寺第23代宗主勝如上人の直筆で、昭和初期のものだ。畳敷き部分と、ご本尊がある内陣の境界には、開閉できる金屏風が12枚あり、閉じて内陣側から見ると、月ごとの季節の移ろいを表現する花や木々、鳥などが描かれていて、大変美しい。

寺院の随所には「八重向こう梅」という寺紋が見られる。正面の石造りの門柱には梅が彫られ、また、寺院正面の格子のガラスや庫裏の木戸にも梅の装飾が施されていて、趣深い。第二次世界大戦の難も逃れ、外観・内装共にきれいに保存され、昭和初期の落成当時の姿を伝えている。

住職インタビュー

■大事にしているのは、「出会い」と「縁」

今のお寺が落成したのは、先々代の時でした。子どもの頃からこの地で育って、場外市場に遊びに行くと、甘露飴やはんぺんをもらったりしていました。今思えば、地域の中で「お寺の子」ということで、大切にしてもらっていた、と思います。

また大学の時はラグビーの選手でした。2019(令和元)年のラグビーW杯は、娘がプレゼントしてくれたチケットでライブ観戦をしました。

大学卒業後にお寺の道に進み、先代の後を継いで圓正寺第14代の住職となりました。現在はカメラが趣味でよく人物や風景を撮影しています。

そんな私が大事にしているのは「出会い」と「縁」です。門徒の方を中心に、地域との縁を大切にして、つなげていきたいと思っています。たとえばこの地域は、関東大震災の後にも7,8回は火事がありました。お寺の正面で火が出た時には、何も言わなくても自然と、この本堂にみんながおむすびなどを持ち寄って、避難所のようになっていました。本堂の脇に床店(商品を売る小さな出店)があるのも、場外市場であるこの地域に密着してきた証だと思います。父には「法衣を着ていなくても、住職だとわかるような人になりなさい」と教えられましたが、まだまだ、と感じています。家族とともに、代々続く圓正寺をこれからも守っていきます。

 

■お寺は手を合わせ、お参りする場所

築地は、卸売業者や飲食店関係者をはじめ、プロが集まる場所でした。門前を通るときには、必ず手を合わせてお参りをして仕事や用件を済ませていました。先祖に手を合わせる人もいれば、商売繁盛、家族の健康など、きっと手を合わせる理由はいろいろだと思います。

浄土真宗には加持祈祷の教義はありません。けれども、手を合わせてくれる方々のよりどころとなる場所であり続けたい。築地の町が、今後どのように形を変えることとなっても、そうでありたいと思います。

葬儀・法事・法要

住職は「葬儀の時に悲しんでいる人に、かける言葉はない。ただ寄り添うことが大切だと思っています」と語る。本堂では、最大50人程度の法要が可能で、2階部分にお斎(おとき=食事会)ができる場所もある。他の式場や自宅での葬儀、法事・法要は、門徒の方や、そのつながりのある家族からの依頼であれば、受けている。

お墓

境内の北側と、道を一本隔てた敷地の外に、墓地がある。新規で建てることも可能だ。しかし代々続く墓が多く、敷地自体がほぼ、埋まっている。合同墓もある。

墓地に閉門時刻はないが「足元も心配なので、明るいうちにお参りしてほしい」という。

お墓について「納骨したらお骨を永代預けられる、というふうにだけ考える人もいらっしゃるが、それは違います。お墓は、ご先祖様から未来に向かって代々つなげていくもの。自分の世代の考えで、墓じまい、などをしていいのか。真剣に、じっくりと考えてほしい」と、住職は語る。

イベント情報

初参式(しょさんしき)(随時)

子どもが生まれたことを喜び、お寺に初めてお参りをして、阿弥陀様とのご縁の始まりとする儀式。

めぐみの参拝(11月)

七五三にあたる行事。子どもの成長をご縁として、阿弥陀様の慈悲に感謝してお参りする。

寺院情報

寺名(ふりがな) 天護山 圓正寺 (てんござん えんしょうじ)
住職 倉澤 豊明
郵便番号 〒104-0045
住所 東京都中央区築地4-12-9
電話番号 03-3541-0765
E-Mail enshouji@pure.ocn.ne.jp
交通

【電車】東京メトロ日比谷線 築地駅から徒歩4分

駐車場 近隣に駐車場あり
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