善了寺の歴史は古い。元々は真言宗で和泉村(現在の横浜市泉区)にあったが、親鸞聖人60歳の1233(天福元)年に、釋了全(しゃくりょうぜん)が浄土真宗に改宗した。善了寺は、釋了全を寺院の創始者としている。その後、領主から浄土宗に改宗を命ぜられ、大部分の門徒は従ったが、信仰の深い門徒たちが細々と維持していた。
1580年頃に善了寺を再興したのは、釋了唯(しゃくりょうゆい)。俗名を大久保伊豆守信唯(おおくぼいずのかみのぶただ)という。当地に来て、現在の場所に善了寺を移転し、中興した。現住職・成田智信氏は、釋了唯より18代目に当たる。
大島山宝林院善了寺の本堂には歴史の変遷がある。
1866(慶応3)年10月12日矢部町の大火によって、7間4面の本堂、太子堂および庫裡(くり)が全焼。その後、1869(明治2)年に本堂が再建されたが、1923(大正12)年9月1日の関東大震災で半壊している。旧本堂は、1956(昭和31)年10月に、第16代・釋恵門(しゃくえもん)が再建した。ご本尊の阿弥陀如来立像は、1988(昭和63)年、第17代・釋了恵(しゃくりょうえ)によって修復された。また、門徒の思いに応え、親鸞聖人銅像を建立。聖徳太子木像の修復も成し遂げた。
1997(平成9)年、現住職が継職。2005(平成17)年に、庫裏にてデイサービス「還る家ともに(かえるいえともに)」を開設した。
その後、2011(平成23)年から2016(平成28)年まで、第2本堂となる聞思堂(もんしどう)建築および、本堂、客殿、庫裏の建立を行った。