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きょうがさん ぜんきょうじ境河山 善教寺

境内に入ると、子どもたちの元気な声が聞こえてきた。善教寺に併設の白道(びゃくどう)こども園は、設立から83年、園児が200人もいる、地域に根ざした保育施設である。裸足で駆け回る園児が、親鸞聖人像のところで立ち止まり丁寧にお辞儀をするのも、日常の風景だ。

現住職の土山和雅(つちやまかずまさ)氏は、第17代。三島市の社会教育委員、少年自然の家の運営委員長など、地域の社会教育活動に熱心に取り組んできた。「自然体験を通じた教育はとても大切。土の上を裸足で歩けば、我が身を支える足裏もしっかりするものです。」と目を細める。

本堂は、前住職が完成させたもの。青空に映える白い壁はモダンな外観だ。本堂の外陣(げじん)には、当時から椅子を並べていたという。「お寺は地域の中で、公民館のような存在でありたい」という思いから、だそうだ。

歴史

「善教寺過去帳」によれば、駿東郡(すんとうぐん)清水村伏見の真言宗寺院であった善教寺は、1602(慶長7)年に当時の住職・祐念が浄土真宗に改宗し、境内も現在地に移転した。その際、本願寺第12代門主の准如上人から阿弥陀如来像と親鸞聖人御影を賜っている。

1608(慶長13)年には、准如上人が江戸に行く時に善教寺に宿泊しており、そのお礼として聖徳太子像ならびに七高僧像を賜っており、現在も東西余間に掛けられている。

本願寺門主は将軍へ挨拶するために度々江戸に参り、宿泊所や休憩所として善教寺に立ち寄った。そうした記録が古文書として残されており、門主を迎える準備にいそしんでいる様子が記されている。

善教寺に伝わる親鸞聖人絵伝は、本願寺第13代門主・良如上人が善教寺に立ち寄った際に賜ったもの。毎年11月の最終日曜日に行われる報恩講で、この絵伝が披露されている。

1939(昭和14)年4月、善教寺内に白道保育園(当時)を開園。現住職の母と、父(前住職)の妹が始めたという。境内には、本堂、白道こども園(現在)のほか、大人数で寝泊りできる大きな部屋や台所、倉庫を備えた建物があり、さまざまな地域活動に開放されている。

1984(昭和59)年、土山和雅氏が第17代として継職。

住職インタビュー

■演劇や音楽に惹かれた青年時代

高校生の頃は、演劇部に所属して、熱心に活動していました。部長を任され、夜遅くまで練習して、静岡県の奨励賞をとったこともあります。父に「勉強しないで、演劇ばっかりやって」と怒られ、大げんかしたことがありました。ものすごい言い合いになったのですが、私が「でも俺は、このお寺を継ぐぞ」と言ったら、父がぴたっと黙りました。私は、芸術や音楽に惹かれていた一方で、住職を継ぐことは心に決めていました。

龍谷大学を卒業した後、東邦音楽大学で声楽を学びました。音大を卒業し、数年間、高校で音楽の講師をしていましたが、白道保育園を任され、園長として30年勤めました。

 

■人は自然の中で学んでいく

私は「箱根の里・少年自然の家」の運営委員長を長年勤めております。少年自然の家は、社会教育を実施する場として必要不可欠な施設ですが、近年は民間委託するところも多くなっています。民間委託にすると利益追求型の経営となり、本来の教育活動が展開できないという側面があります。ここ三島市の「少年自然の家」は、今でも市が運営しており、社会教育の場として多くの団体が活用しています。三島の子どもたちが元気いっぱいなのは、そうした社会教育の場が多いからかもしれませんね。

社会教育を語る上で欠かせないのが、ボーイスカウト運動です。1946(昭和21)年に満州から帰還した父(前住職)はキャンプが大好きで、よく一緒に活動しました。そして1961(昭和36)年に前住職が中心となりボーイスカウト三島第3団を発団。1980(昭和55)年には現坊守が中心となってガールスカウト静岡県第93団も発足しました。

活動場所はお寺の境内です。スカウト総数100名を越える大所帯ですので、週末の境内は子どもたちでいつも賑わっています。スカウト活動では、各人が信仰を持たなければなりません。自らが生かされていることを自覚し、感謝しながら人生を送ること。これが大事なのだと思います。スカウト精神と仏教の精神は共通していることが多いのです。しかも、スカウトは子どもから大人までの一生涯の活動ですから、お寺とのつながりも一生涯です。実際、スカウト活動が契機となって門徒となられた方も数多くいます。本当にありがたいことです。

 

■命は、お預かりしているもの

住職になって38年になろうとしていますが、命のありようが、自然ではなくなってきた、という危惧があります。命は「作るもの」ではなく、「お預かりするもの」です。たとえば現代では、赤ちゃんがお腹にいる時から男女どちらなのか分かり、出生前診断などもありますね。しかし昔は、誕生した時にはじめて「ああ、命に恵まれた」と思い、慈しみました。

仏教では、命は自分のものではなく、仏様から預かって、いつかはお返しするものと受けとめています。だから、捨ててはいけないし、奪ってもいけない。最近は技術の進歩があって、人間が思い上がっているように感じます。命の尊さ、命のつながりの尊さを、これからも伝えていきます。

葬儀・法事・法要

葬儀や法要は120人程度まで可能。食事の手配もできる。住職は、依頼があれば、他の式場にも出向いてくれる。

「葬儀の収骨の時、父親を若くして失くしたお嬢さんに『手で納骨してはだめですか』と聞かれたことがあり、ハッとしたことを今でも覚えています。なぜ、手はだめなのか。収骨の箸が木と竹一本ずつでできているのはなぜなのか。勉強したところ、『木に竹は接げない」=縁切り箸、という意味があることを知りました。仏教の教えはそうではありません。大切なご縁は切ってはいけないのです。今では『どうぞ、手でお納めください』と言いますし、三島の火葬場は、私が行くと、『縁切り箸」を出さなくなりました(笑)」とご住職。「葬儀は遺族にとって悲しく苦しいものですが、命の尊さに気づかされる、しみじみとした場になるように、と考えています」

お墓

境内に一般墓、合同墓がある。一般墓は新規で建てることが可能。最近では、墓碑に『See you again』 と彫るなど、今までの型にとらわれないお墓も増えてきたそうだ。

冥加金は40万円~、年間管理費は1万円。交通の便がよく、富士山がきれいに見える好立地だ。

教化団体

■社会福祉法人護汝会 白道こども園(三島市) 慈恩こども園(伊豆の国市)

白道こども園は1939(昭和14)年、静岡県東部の三島市、善教寺の境内に、地域の子どもたちの学びの場として保育園として開園した。戦前から戦後の混乱している時に、いち早く保育園の機能を再開し、地域の人々の思いを受け入れ、親も子も安心できる場として保育をしてきた。近所にはおじいちゃん、父親、子どもと三代に渡って通園、卒園している方々も多くいる。

慈恩こども園は1979(昭和54)年、伊豆の国市に開園。仏教保育を伝え、地域に根ざした保育園として多くの子どもたちの学びの場として乳幼児保育を展開している。

どちらの園も開園以来変わらぬ保育方針として、手を合わせ、命の尊さを心に受けとめることができる「まことの保育」を実践している。また、音楽、絵画を中心に情緒、情操、感性など、心を育てる情操教育に力を入れている。

 

■ボーイスカウト三島第3団 ガールスカウト静岡県第93団

青少年の社会教育活動の場として、善教寺内に発団。三島第3団は男子だけの団としては全国で最多の所属人数を誇る。静岡県第93団は県内で最多登録人数の団となっている。どちらも、熱心な指導者の下、善教寺境内で野外活動や奉仕活動など、活発に活動している。

 

■善教寺境内で活動している社会教育諸団体

白道ジュニアバンド(BJB)―三島市唯一の小中学生マーチングバンド
白道ジュニアフルート
三島フィルハーモニー管弦楽団―県東部を代表するアマチュアオーケストラ

寺院情報

寺名(ふりがな) 境河山 善教寺 (きょうがさん ぜんきょうじ)
住職 土山 和雅
郵便番号 〒411-0845
住所 静岡県三島市加屋町2-21
電話番号 055-972-3130
交通

【電車】
伊豆箱根鉄道駿豆線(すんずせん)三島広小路駅 から徒歩7分
JR三島駅 から徒歩20分、タクシー10分

【車】
沼津ICより18分

駐車場 100台
地図