◆二転三転した進路
高校時代は、剣道の選手でした。国体の選手を選ぶプロジェクトに呼ばれたこともありました。国体出場は実現しませんでしたが、強かったんですよ。だから、剣道の腕を生かして日本体育大学に進学しようと思っていました。私は、同じ三島市内にある善教寺の四男で、実家は長兄が継ぐので、先々は教職をとって先生になろうと思っていました。
ところが、高校3年生の暮れになって、善教寺の当時の住職である父から、長兄を手伝ってくれないか、と言われたのです。それで急遽、龍谷大学を受験することにしました。5年分の過去問を取り寄せて勉強して。頭が良いんですね(笑)、合格しました。
大学3年生の時に教授から、み教えを海外に広めていく仕事もある、大学の近くに開教使研修所があるから、そこで勉強してみないか、と声をかけていただきました。1970年代の当時、個人での海外旅行など難しい中、私は「どこか出張を命ぜられれば、飛行機に乗って、海外に行ける!」と思いました。それで、研修所に入所し、英文仏典購読などを、2年間勉強しました。今はもう忘れましたが(笑)。
大学を卒業して、アメリカかカナダで開教の仕事をしたいと思っていた矢先、親鸞聖人ご誕生800年・立教開宗750年の機会に、南米教団の門信徒の方々が本山へ団体参拝をされました。その中に以前お世話になった開教使の方がおられまして、行き先が決まっていなかった私は、縁あって、ブラジルに行くことに決まりました。
◆開教使としてブラジルへ
ブラジルに着いた時のことは、今でもよく覚えています。
真夜中にサンパウロ州のヴィラコッポス・カンピナス空港に着陸しました。市内の伯国別院までの道筋は、家などあまり見えない田舎道でしたが、別院に到着して、くたびれきってぐっすり眠って朝起きて、外を見て、びっくりしましたね。大都会でした。
ブラジルに来て、お釈迦様のみ教えや浄土真宗を広めるのにどうしたらよいか考えました。そして、私が子どもの頃からやっていたボーイスカウトをベースに始めてみることにしました。スカウト運動は教育規定に信仰奨励が掲げられ、仏教は多くの宗教がある中の1つです。
私はまず、当地で隊長になる資格を取りました。少しずつスカウトの活動の場を広げて、ガールスカウトも発団させました。ポルトガル語は、ほとんど子ども達との交流の中で覚えていきました。当時小学校5,6年生だったかな、日系人で日本語もできるシルビオ君という少年がとても利発で、彼とはいろいろなことを一緒にやりました。私が帰国した後、東京大学に留学してきて、訪ねてきてくれました。懐かしかったですね。今は、サンパウロ大学で教授をしています。
また、サンパウロの別院在任中には、日系社会で剣道が盛んに行われており、私も昔とった杵柄とばかりに張り切り、なんと全ブラジル大会で優勝してしまいました。
その後、アダマンチーナという町に移りました。住まいから100km四方くらいのお寺が全て私の担当で、お盆や法要に呼ばれて行きました。バスで数時間かかるのは当たり前でした。ブラジルの人たちは、宗教に関わらず、宗教家のことをとても大切にするんです。たとえば、バスで隣り合わせた人と話していて「私は、仏教のカテキスト(坊さん)なんだ」と言うと、「宗教家に会えるなんて幸運だ」と喜ばれて。宗教や文化が違っても、明るく受け入れてくれるお国柄でした。
◆実家に戻り、新寺の設立にまい進
サンパウロで5年ほど過ごした後、帰国して、実家で副住職となりました。しかし、長兄の息子、私の甥っ子ですが、彼が継職するので、私は新寺の建立を目指そうと思いました。1986(昭和61)年から土地探しを続けて、8カ所目にしてようやく、この地に決めました。私財を投じて買ったんですよ。土地の購入も造成も、寺院の建立も、市、県、国と、膨大な申請業務がありました。私は一切、司法書士や税理士などの先生方に頼まず、自分でやりました。ただ、測量会社の社長さんが私のことを気に入ってくれて、本当にいろいろと助けてくれました。
1989(平成元)年4月に、まず布教所が完成し、妻と子ども2人で転居してきました。平成5年に宗教法人として認められ、平成9年に本堂が完成しました。
新しく寺を作ることを都市開教、と言いますが、大変なことの連続でした。「俺ってすごいよな」と自分で誇れるほどですよ(笑)。しかし、気持ちを決めて行動していると「力になろう」という人が必ず現れるんです。ありがたいことです。
◆しきたり・俗習・迷信にとらわれてはいけない
「大安に結婚式を挙げる」「友引の日に葬儀をしてはいけない」など、日の善し悪しを言う方は多いですね。しかしお釈迦様は、「今」が行動する時、「今日が一番いい日」、と教えています。
葬儀の後、塩で清める、という行為をよくよく考えると、「死は穢れ、だから清めなくてはいけない」ということになります。しかし、「死は穢れ」ではありません。死は、仏様になって、次の世界で仏様としての活動をすることです。先立っていかれた方は「お前も死ぬよ、だから、今の世界を精一杯生きていきなさい」と教えてくれる、尊い存在なのです。
こうした話を法話会などでしていましたら「そうなの?」「初めて聞いた!」などの声をいただきました。訪れてくれる人が少しずつ増えていきました。今の門信徒会員の8割は他の宗派から移ってきた方たちです。
◆「南無阿弥陀仏」は阿弥陀様に対するお礼の言葉
お釈迦様はみ教えの中で阿弥陀様のお力とお心をお説きくださいました。そして、その意味を私たちにわかりやすく示された方が親鸞聖人です。
「南無阿弥陀仏」は阿弥陀様の願い=「そのまま救う」との呼び声であり、おはたらきそのものです。そのおはたらきは文字や音となり私たちにおはたらきかけ続け、私たちを念仏申す(称名)身にお育てくださいます。
浄土真宗は阿弥陀様の願いを聞き、そのおはたらきを喜ぶ教えです。願いを聞き、阿弥陀様に願われているこの身を喜び、感謝のお念仏を称えさせていただきます。それが阿弥陀様に願われている私たちの日暮らしです。
日々お念仏をお称えする中で、阿弥陀様のおはたらきが常に私たちの身に届いていることに気づかされます。
今の日本では宗教は「願いや欲望を叶えてくれるもの」と思われているようですが、それは違います。お寺は「私」はどう生きるのか、という問いや悩みに答えて、生き方を発信する場所です。