文字サイズ

  • 普通
  • 大きく

ほうしょうざん だいしょうじ寶松山 大正寺

富士急行線下吉田駅・月江寺駅のどちらからも徒歩7分ほど、住宅の立ち並ぶ地域の一角に、大正寺の境内が広がる。近隣の正福寺・如来寺とともに「新倉三カ寺」と呼びならわされる当寺は、開基が室町時代に遡る古刹(こさつ)。徳川将軍家の庭師・石斉が造ったと伝わる庭園、地元産の石で綿密に組み上げられた鐘楼は、ともに市の文化財に指定されている。建立から300年を経た本堂は2018(平成30)年に大修復が行われ、建立当初の美しい姿を蘇らせた。お寺のすぐ近くには、世界的に有名となった新倉山浅間公園があり、富士山と桜、五重塔が一目に収まる風景を見ることができる。新型コロナウィルス感染症の流行前は国内観光客をはじめタイや中国など外国からもたくさんの人が訪れ、大正寺の境内も賑わったという。

現住職の大叔父である遠山正瑛農学博士の遺志を受け継ぎ、中国での砂漠緑化活動を、毎年ツアーを組んで実施している(現在は一時中断)。また、門徒による合唱団の結成、報恩講でのゲストを招いてのコンサート開催など、「音楽の寺」としても活動を展開している。

歴史

約750年前の文永年間(鎌倉時代)、祖門六老僧の随一源誓上人が草庵を当所字宮の下に結び、親鸞聖人御真筆の無碍光如来の画像を安置したのが当寺の起こりとされる。

1446(文安3)年に蓮如上人が当地を御巡錫した際、当国城主の遠山伊豆守重正が蓮如上人に帰依。法名乗欽を賜り、その後草庵に入り水石山新念寺と称する。その後、第3代住職正念の時、寺号を新福寺と改める。1627(寛永4)年には本堂と庫裏を焼失。1644(正保元)年に寺基を現在地へ移転。

その後、第5代住職正意の時、1668(寛文8)年寺号を現在の寺号である大正寺と改める。また第12代住職正観の時、文化・文政年間に鐘楼と庭園を建立した。

2018(平成30)年、本堂の大修復工事落成。全国から専門の職人が集い、耐震補強工事、彫刻の彩色修復、錺(かざり)金具の新調などを行った。同年、現住職の父・第17代住職正尊から、現住職正真が第18代住職を引き継ぐ。

住職インタビュー

■役割の大きさに責任を感じつつ、日々勉強中

私はこの寺に生まれて、将来住職を継ぐことは意識していましたが、若い時にはいろいろ見て経験を重ねておきたい思いが強く、親の反対を押し切って龍谷大学でなく一般の大学に進みました。在学中に東京仏教学院を卒業し得度はしましたが、その後はDTPの仕事や小中学校のプールのメンテナンス、家具屋、看板屋などさまざまな仕事を経験しました。最後は飲食店を5年経営し、そこを閉めたのちに大正寺に戻って副住職となり、父が在職50年を迎えたのを機に4年前に住職を引き継ぎました。

住職は思った以上に大変な仕事で、父がしてきたことの重さを実感しながら、日々勉強させていただいております。多様化によって孤独を感じる人も増えている中、拠り所となるべきお寺の役割の大きさを感じています。また、今後お寺はご年配の方々だけの場ではなく、若い人の世代にもお寺に来ていただくための努力もしていかなければならないでしょう。そういう点で、一度お寺の業界の外からお寺を見ることができたのは、柔軟な視点を持つのに役立ったのではと思っています。

次の世代に向けて、今は私が指導者となってボーイスカウトの活動をしています。境内でテントを張ってキャンプをしたり、鼓隊の練習をしたり。そうすることで子どもの頃からお寺が身近な場所になってくれることを願っています。

 

■「帰るべき場所」に向かって、ともに人生を歩む

私自身もボーイスカウトで子どもの頃から自然に触れるのが好きだったので、現在も趣味で山登りをしており、休みには友人たちと北アルプスや八ヶ岳に足繁く通っています。時にはロープで断崖絶壁を登ったり、氷点下20℃を下回る雪山でテント泊をしたりもします。多くの山行を重ねるにつれ、幾度となく身の危険を感じたこともあります。

私を含め、山登りをされる方は、自分自身が山で死ぬとは思っていないでしょう。むしろ山で死なないためにさまざまな努力をされていることと思います。登山は登頂することが目的と思われがちですが、実は無事に家に「帰る」ことこそが大切です。山頂が目の前だったとしても、天候や体調次第では断念する決断が必要なのです。いくら知識や経験が豊富で万全の準備をしていても、自然は時に想像以上に恐ろしい顔を見せます。常に死と隣り合わせなのが登山の厳しさで、ニュースで流れる遭難事故は人ごとではなく、いつ私の身に起こるか分かりません。

私たちの人生も登山と同様に、いつ何が起こるか分かりません。蓮如上人は『御文章』の中で、「死の訪れはいつ襲ってくるかわからない、今日とも知らず、明日とも知らず」と仰せになっておられます。諸行無常の険しい山の真っただ中を歩いているのが、この私です。しかし、その私を照らし、間違いなく「帰る場所」に往き生まれることができるように阿弥陀さまが定めていてくださるのです。山でのように遭難する事なく、私が帰るべき場所「お浄土」に無事歩みを進めていけるのが、親鸞聖人が出遇われたお念仏申す人生なのです。この命はどこに向かって生きているのか、どこに帰るのか、命の帰る場所が見つからなかったら不安です。阿弥陀さまは「安心して浄土へ帰っておいで、我にまかせよ」と、念仏となり、呼び続けておられます。つらい事や苦しみ、悩みをたくさん抱えながらの日々、人生は山あり谷ありです。しかし、お寺で一人でも多くの方にお念仏に遇っていただき、誰にも代わることができない私の人生を、帰るべき場所「お浄土」へ向かって、門信徒の方々とともに生き抜かせていただく人生を歩んでいきたいと思っております。

葬儀・法事・法要

葬儀や法事は、故人を偲ぶだけではありません。私たち一人一人は、阿弥陀さまの願いの中に生かされており、限りある命を精一杯生き抜かせていただいています。葬儀や法事は、命終われば浄土へ還らせていただくという、阿弥陀さまのみ教えに出遇わせていただくご縁の場です。

  • 本堂での葬儀・法事・法要は座席数80席程度まで
  • 他式場、およびご門徒さまのご自宅でのお勤めも可能
    (県外など遠方への出張も対応)
  • 控室、駐車場、食事手配の紹介などあり

お墓

本堂の裏手には木々に囲まれて、富士山を望む解放感のある墓所があり、現在500基ほどの墓が並んでいます。明るいうちならいつでもお参りすることが可能です。

  • 永代使用、生前申し込みあり
  • ご遺骨の一時預かり可
  • 年間管理費不要

また、合同墓「四季の杜」(2022年9月より)は、春には桜や桃、秋には紅葉など、四季折々の木々や花に囲まれ、樹木葬のような安らぎがあります。

イベント情報

富士グリーンハーモニー(女声合唱団)(随時)

門徒を中心に集ったコーラスグループ。 練習は専門の先生に指導をお願いし、基本的に月2回、日中に行っています。仏教讃歌をはじめ、さまざまなジャンルの歌を練習し、大正寺の報恩講やご本山(西本願寺)と築地本願寺での音御堂で披露しています。声を出すことで心身が元気になると同時に、歌で仏さまの教えが自然と心に沁み、前向きな気持ちになれます。

アミダの森 緑の協力隊(随時)

現住職の大叔父にあたる遠山正瑛博士は、鳥取砂丘での農業を研究していました。その遺志を受け継ぎ、地球温暖化対策の一助として、毎年有志を募って中国内蒙古地区の沙漠に木を植えるボランティア活動をしています。植樹はすでに300万本を数え、周辺では道も整備されて農業ができるようになってきました。コロナ禍の収束後に再開予定。

書道教室(毎月3回)

外部より講師をお招きして開催しています。子供も大人も、また初心者から経験者まで、どなたでも参加できる教室です。見学や体験入会できますのでお気軽にどうぞ。

宝松会(仏教婦人会)(毎月11日)

毎月11日に例会を開き、お寺のお掃除、正信偈の読経、季節の料理を作って皆さんで楽しく会食をしています。また大正寺の行事はもちろん、組や教区の研修会などがあれば積極的に参加しています。

六字講(仏教壮年会)(毎月7日と23日夜)

毎月2回(7日と23日の晩)、親鸞聖人がお書きになられた正信偈のお聖教を称える練習をしながら、仏教・浄土真宗のみ教えを学ぶ勉強会です。

報恩講(11月)

親鸞上人のご命日前後に行われる報恩講では、法要の前後に雅楽の演奏が行われます。1日目のお逮夜ではお勤めと法話の後、音楽コンサートや合唱団の発表なども実施しています。

その他の法要・行事(随時)

  • 元旦会法要(1月1日午前0時より)
  • 春彼岸会・永代経法要(3月)
  • 念仏奉仕団(本山参拝旅行)(5月)
  • お盆法要 (8月13日・16日午後5時より)
  • 秋彼岸会法要(9月)
  • 除夜会(12月31日午後11時45分より)

寺院情報

寺名(ふりがな) 寶松山 大正寺 (ほうしょうざん だいしょうじ)
住職 遠山 正真(とおやま しょうしん)
郵便番号 403-0031
住所 山梨県富士吉田市浅間1-2-1
電話番号 0555-22-1017
ホームページ http://daishouji.org
交通

【電車】
<東京方面より>
JR中央線大月乗り換え~富士急行線 下吉田駅より徒歩約7分

<河口湖方面より>
富士急行線 月江寺駅より徒歩約7分

【車】
<東京方面より>
中央高速道路 河口湖インターより約15分

<大阪方面より>
東富士五湖道路 富士吉田インターより約15分

駐車場 50台
地図