【住職】猪口 大悟 (いのくち だいご)
■僧侶になることを後押しした母との別れ
私が僧侶を志したのは、高校生の頃。室町時代に浄土真宗を全国に広められた、本願寺第8代宗主 蓮如さまに憧れたからです。そのくらいの年頃の青年が「蓮如さまに憧れて」ということに、少し珍しさを感じる方もいらっしゃるかもしれません。しかし、迫害を受けながらも門徒の方々と一緒に教えを広め伝えた蓮如さまのお話を聞き、尊敬の念を抱いていました。そうして大学で仏教学を学ぶようになるのですが、はっきりと僧侶になると決意したきっかけは、母の死でした。私が20歳、母は57歳のときのことです。私の祖父は島根県で住職をしていましたが、父は会社員でした。しかし、以前に得度して僧侶であったことから、父が母の四十九日や年忌法要を勤めました。
当時の私は、病の母に対して何もすることができませんでした。それは、私の中で不甲斐なさ、悔しさとなって心に留まりました。お釈迦さまは、「応病与薬」といって、苦しむ方々にあわせて教えを説かれたと聞きます。私も、苦しむ母に対して何か伝えることができていたら……、その悔しさや、父の姿が、僧侶になろうという思いを後押ししたのだと思います。
■ともにみ教えを学べる居場所をつくりたい
大学を卒業し、北海道にある本願寺の別院のひとつ小樽別院で僧侶としての心構えや法務を学ばせていただき、その後、広島の歴史のあるお寺に勤めました。その頃には、生まれ育った関東首都圏でお寺を開きたいという思いを強くするようになっていました。門徒の皆さまと親鸞さまの教えをともに学びたい、教えを一緒にご聴聞できる居場所をつくりたいと思ったのです。
現代人は忙しい毎日をおくっています。食事をすることなしに生きていくことはできませんが、心に食事を与えずに栄養が行き渡らない状態で、せわしなく暮らす人は多いのではないでしょうか。そういう時こそ、お寺の存在が大切です。人の「しあわせ」とはなにか。他人と比べるのではない、自らの真の「しあわせ」はどこにあるのか。私たちにとって本当に大切なこと、生きる上での本当の拠り所に出あう教えが仏教だと私は考えています。そうしたみ教えと出あえる場所として、多くのご縁が繋がり、このお寺を開かせていただくことができました。法話会や住蓮寺てらこやなど、気軽にお越しいただける場も設けておりますので、ぜひ気負うことなく、気軽に住蓮寺を訪れていただけたらうれしく思います。