■抱いていたお寺への違和感がやがて財産に
僕は2代目である父の方針から、お寺の長男としては珍しく、大学を卒業し僧侶養成機関に入るまで、僧侶としての教育をほとんど受けずに育ちました。そのため、お寺の常識や仏教の教えに触れる過程でたくさんの疑問や違和感をもちました。そのことは自らの原風景としてとても大切なものだと思っています。なぜならそれは、当然ご門徒様をはじめ一般の人々の感覚と重なるところが多いと思うからです。
自分がもし幼いときからどっぷりと仏教の世界に浸っていたら、気づくことができなかったであろう違和感に対して敏感であること。またその違和感のもとを探り、「なるほど、仏教や仏教行事にはそのような意味があるのか」「だからこれほど長く人々に受け継がれてきたのか」と、納得がいくまで学ぶことができたことは僕にとって財産となりました。
ですから、今僕が大切にするのは「ご門徒様はこう感じるのではないか、ここが理解しにくいかもしれない」ということを想像しつつ、僧侶として学んできたことをわかりやすくお伝えすることです。それが僕の務めだと感じていますし、「心地よく仏様と向き合えるお寺をめざして」という正行寺のあり方にも繋がっていると考えています。
■弱みがあるならルールを学べ
中学、高校、大学とラグビーに汗を流してきました。現役時代の私は、体は大きいが足は絶望的に遅い選手でした。足が遅い人間が試合で勝つにはどうすればいいか。僕が行き着いたのはしっかりとルールを把握するということでした。ルールを逸脱することなく、その範囲のギリギリの中でどうしたら最大限に力を発揮できるかを考え抜いたのです。「弱みがあるなら、ルールを学ばなきゃいけない」、このことは今も僕の人生訓になっています。
僧侶という仕事においてもその教えは活かされているように思います。先程も話しましたが、幼い頃から仏教の英才教育を受けてきた人たちは長く仏教に触れています。しかし、スタートが遅かった僕だからこそ仏教に対し、疑問や違和感を持っている人たちが知りたいだろう、教えの基礎・ベースとなる考えを納得いくまで学ぶことができました。同じように疑問を持つ人に共感しながら、わかりやすく説明することを心がけられます。弱みになりそうなことも、ルール・基礎を積み重ねれば、強みに変えることができる。これはラグビーが僕に教えてくれた大切なことだと思っています。