■阿弥陀様の願いを聞き、浄土の道を歩んでほしい
川茂龍乗住職:私は富山の寺で男ばかりの3人兄弟の三男坊に生まれました。浄泉寺の長女だった妻とお見合いで出会い、浄泉寺にやってまいりました。ちょうど、31歳の4月にまいりまして、5月には築地本願寺に行きました。築地の職員として2年半ほど財務部に在籍し、3期になるときには、教務所に行こうと思っていたのですが、2年半で終えて浄泉寺の住職としてここにおります。浄土真宗においては戒名を「法名」と呼び、「院号・釋号・法号」で構成します。位号がないのは、「阿弥陀如来のもとでは全員平等」という浄土真宗の教えに基づいているためです。曹洞宗から浄土真宗への改宗で苦労したのは、この教えを皆に伝えることでした。
念仏の教えで、誰でも阿弥陀様から願われている大事な仏の子として、阿弥陀様の願いを聞き受けて仏になっていく道を、浄土に生まれていく道を、自分も歩み、ご門徒様も歩んでほしい、助かっていただきたい、それが私の大切にしている願いでございます。
■親への反発心から研究職を経て、仏門の道へ
川茂唯順副住職:私は、子どもの頃からずっと住職にはなりたくないという思いがありました。キリスト教系の大学に進学し、放射線物理学を専攻し、卒業後は約1年、埼玉にある理化学研究所の研究員として仏教とは真逆の世界で生きていました。その後、大阪の高槻市にある、仏教勉学のための専門学校である行信教校に3年間通いました。寮に入らなければいけなかったうえに、仏教にも全く触れてきませんでしたから、本当に嫌でしたが、住職から「騙されたと思って、3日間通って本当に嫌だったら帰ってこい」という約束で行くことにしました。するとそれがすごく面白くて、主席として卒業をするほど、仏教の教えにはまりました。その後は、伝道院に100日間ほど行き、その後2年は、大阪のお寺で法務員として働いていました。2017年の29歳になる年に戻り、保育園について勉強し、2022年の34歳で園長になりました。保育園は1963年に、前住職がはじめました。その想いを受け継いでおります。
川茂龍乗住職:親鸞聖人の教えに「ものの逃ぐるを追はへとる」とございまして、阿弥陀様に背を向けて逃げまどっているこの私(もの)を、阿弥陀様がどこまでも追いかけ、抱きとめてくださるはたらきを表したものです。息子にも人間に生まれて、仏様に会って、助かってほしいと思っておりました。きっと今はその道を歩んでよかったと思っていることでしょう。
■誰でも気軽に足を運べるお寺を目指して
川茂龍乗住職:お寺は亡くなってからのかかわりだと思っておられる方がほとんどですが、生きているうちにこそおいでいただき、大切な方を心ゆくまでご追悼し、ご自身を見つめ直していただきたい。生きているうちにお寺に足を運んでいてよかったなと思っていただけるよう、足を運んでくださる方がもっと増えることを願っています。浄土真宗において法座はとても重要です。現在は4月の永代経、11月の報恩講(現在は10月に開催)の2回を行っていますが、今後は毎月、歎異抄講座や正信偈講座、定例法座も行っていきたいと考えています。
川茂唯順副住職:浄泉寺は誰でも気軽に足を運べる、いつでも仏様のお慈悲に触れられるお寺を目指しています。さまざまなイベントに力を入れるのもその理由です。昔からのご門徒様は教えを大事にお寺にお参りされますが、次の世代、次の世代へと代替わりをしていくと、お葬式や法事だけの関係になってしまいがちです。お寺といえばお葬式、法事というイメージを持って欲しくないですし、もっと気軽に来て良いのだということを伝えたくて多岐にわたり活動をしています。そのおかげで、イベントを通じて、本当に地域の人と信頼関係を築くことができていると感じています。
現在、寺院計画書として目標を掲げていますが、毎月100人の人が集まって手を合わすお寺を目指したいと思っています。キッズサンガや地域食堂、写経、寺ヨガなど、いろんなイベントを企画し、折に触れ、南無阿弥陀仏と念仏を唱えて、少しでも仏様に触れてもらえる人が毎月100人お越しいただける、そのようなお寺になりたいと思っています。