■川に流されるように行き着いた仏様の世界
私が得度を授与したのは、2020年のことです。10年前の私が今の私を見たら、とても驚くのではないでしょうか。そのくらい、いつの間にか、まるで川に流されるようにして、ここに行き着いたという感覚があります。元々は企業に務めて働きながら、2人の子どもを育てる母親でした。子どもが幼い時に離縁したため、仕事に家事に走り回る毎日。しかし、そんな生活が10年ぐらい続いた頃、ついに過労で倒れてしまったんです。その後何年も、線維筋痛症という病いに苦しめられ、体中が痛くて布団から動くこともできない日が続きました。
5年ぐらい経って、ようやく体を動かせるようになってきた頃、住職代務をしていた父から勧められたのが、浄土真宗本願寺派による中央仏教学院で学ぶことでした。「今のお前にできることはこれしか思いつかないが、やってみないか」という言葉に頷く形で始めたことでしたが、先生方の教えや共に学ぶ人たちを通して、仏様の世界を知ることになりました。
■浄土真宗を学び、初めて見た本当の自分の姿
浄土真宗についての学びを深めることで、救われていったと言いたいのですが、実のところ、学べば学ぶほど、苦しくて苦しくて仕方がないという時期もありました。自分のドロドロしたところ、汚いところが見えてきて、こんな自分だったから、こういう結果になったのだと思い知らされるような気持ちになったのです。この時、初めて本当に自分の姿を見たのだと思います。しかし、学びを深め得度を授けていただき、父の手伝いをしながら自分自身の修行を続けていきました。
浄土真宗の教えの中で、最初に「あぁそうか」と思ったのは、「信心」についての教えでした。「信心」というと、神様や仏様を信じる気持ちだと思う人も多いと思います。私もそう思っていました。しかし、本当の意味は、「仏様にすべてをお任せし、仏様を信じていくこと。自分から願うことはできず、起きた現象をそのまま受け取る」 ということです。
今まで、私はずっと「自分がこうしなきゃ」「自分でやっていくんだ」という意識で生きてきたんだと思います。でも、そうではない、仏様の力、他力について学びました。それによって、今まで起きてきた全てのことが自分には必要であって、そこから学ぶべきことがたくさんあるということ。辛いことはたくさんあったけれど、その辛いことこそが救われる道、多くを教えてくれる道だったんだということに、気づくことができました
■仏様に拾っていただくチャンス
今でも忘れがたいのは、浄広寺を開いた前住職の河津喜代子先生と亡くなる一カ月ぐらい前にお会いしたときのことです。それまでも河津先生がいらした施設に月に一度お会いしに行っていました。先生は、104歳となり、目も見えず、耳も聞こえず、黙って車椅子に座っているという状態でした。
ただ、その日、私はなんとなく先生の耳元で大きい声で、「先生、阿弥陀様ってどこにいるんですか」って聞いてみたんです。そしたら先生が、見えていないはずなのに、私のことをビシッと指さして、「あんたの口のところ、そこにいるより他はない」って大きい声で言われたんですよ。そこには母である前住職の坊守もいたのですが、2人で顔を見合わせ、ボロボロと泣きました。「あぁ、そういうことなんだな」と。自分の口から仏様の言葉を伝えていく、それこそが私の役割なんだと思った瞬間でした。これは先生からのプレゼントでもあり、仏様からいただいたプレゼントでもあり、両親の願いであり、いろんな人の願いが重なって私のところに届いたのではないでしょうか。
私は、仏様に拾っていただいたと思っているんです。迷いに迷ったこの人生の中で、いろいろな人の願いがあって、拾っていただいた。そして、この拾っていただくチャンスは、等しく誰にでもあります。日々、あらゆることに感謝の気持ちを持ち、仏縁を大切に過ごすことで、そのチャンスが巡ってくるのだと思うのです。