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しょうこうじ照光寺

千葉県習志野市の住宅街にある浄土真宗本願寺派・照光寺。住宅や商店が並ぶ穏やかな街並みの中にあるその寺は、人を選ばず受け入れるような、やわらかく開かれた空気が流れている。

「ここは、“限界状況”を語れる場所として始めた寺なんです。」

そう話すのは住職の脇本正範さん。言葉を選びながら語るその姿からは、自身の経験を通して掴んできた実感と、これまでの時間の積み重ねが伝わってくる。

 

歴史

照光寺は、本願寺の「布教所」として歩みを始めた。地域に浄土真宗の教えを届ける拠点として活動を重ねながら、人が悩みや孤独を抱えたままでも立ち寄れる場所をめざしてきたという。そうした積み重ねを経て、2021年に宗教法人として認可された。

住職インタビュー

■父の書棚にあった『歎異抄』が人生を変えた

会社員の息子として生まれましたが、祖父が広島で住職をしていたこともあり、浄土真宗に触れる環境では育ってきました。でも、「帰る寺」があるわけではない。いわゆる跡継ぎではなくて、行く場所も、帰る場所もない青年でした。

幼い頃、弟に知的障害があることがわかりました。僕が三歳、弟が一歳半の頃です。そこから、家庭の風景は大きく変わりました。家族は弟のケアに向かっていく。もちろん、それは自然なことですし、家族が大変なのも分かっていました。だから僕は、“いい子”でいようとしていたんですね。我慢して、ちゃんとして、親に迷惑をかけないようにしてました。

高校までは野球に打ち込んでいたので、その頃はまだよかったんです。でも、部活を引退して、自分の中に溜まっていたものが噴き出してしまった。友達と喧嘩したこともあります。それまでは優等生だったんですが、 「努力してもどうにもならない」という感覚の中で、少しずつ崩れていったんだと思います。

進学もうまくいかず、友達はみんな社会へ出ていくのに、自分だけ取り残されているような感覚があった。そんな時、父の書棚にあった『歎異抄』に出合いました。そこに書かれていた「悪人こそ救いの目当てにする」という言葉に衝撃を受けたんです。自分で自分を救えない人間をこそ包み込む世界が、この世の中にはあるんだ、と。それまで、哲学も小説もジャンルを問わず様々な本を読んでいましたが、「存在そのものを認める」という感覚に触れたのは、あの時が初めてだった気がします。そこから、浄土真宗の道へ進むことを決心し、「中央仏教学院」への進学を決めました。

■正しい答えを与える場所ではなく、語れる場所でありたい

当時は、凄惨な事件のニュースを見ながら、「被告の気持ちがどこか分かる気がする」と感じてしまうくらい、自分自身も社会から切り離されている感覚があったんです。

そんな時でも、「悪人こそ救いの目当てにする」という教えだけは、自分を見捨てなかった。だから今も、「限界状況」という言葉をよく使います。

病気、障害、介護、孤独、死への恐怖。努力しても解決できないことに、人は必ず出合う。しかも、本当に苦しい時ほど、人は防御壁を作ってしまうんですよね。これ以上傷つきたくないから。だから照光寺は、「正しい答え」を与える場所というより、「語れる場所」でありたいと思っています。決して、話せば救われるわけでもないけれど、「ここなら話してもいいかもしれない」と思える場所は必要なんじゃないかと思うんです。

実際、この寺には悩みを抱えた方がふらりと来られることがあります。介護に疲れた人、死への不安を抱えた人、自分の存在価値が分からなくなっている人。笑っていても、「この人は辛そうだな」って不思議とわかるんですよね。以前は、辛さを隠している人に「もっと素直になればいいのに」と、注意してしまうこともありました。「なぜ、ここまでわざわざ足を運んで来られたのに、隠しているの?」って。でも半年前、親しい先輩僧侶に「それは傲慢だ」と叱られたんです。ありがたかったですね。その一言で、自分が「救いたい」と思うあまり、相手を追い詰めていたことに気づかされた。そこから少しずつ、人との向き合い方が変わっていきました。待つことが大事なんだと思うようになったんです。その人が、自分のタイミングで言葉にできるまで。

■阿弥陀如来は、私の中から死の不安を取り除いてくださるという教えに救われた

実は僕自身も、一度死に飲み込まれかけているんです。コロナ禍で寺の運営が厳しくなった頃、毎日一升八合の焼酎を飲み続けていました。貯金も少なくなってきてしまい、「もう死ぬしかない」と思っていた。でも、医者に「このままだと死にますよ」と言われた時、不思議と「死にたくない」と思ったんです。

その時、改めて向き合ったのが、阿弥陀如来の教えでした。「阿弥陀如来は、私の中から死の不安を取り除いてくださる。私の中に死の不安は存在しない」。その言葉が腑に落ちた瞬間、世界の見え方が変わったんです。弟のことも、障害を持つ人のことも、苦しんでいる人のことも、「そのままでいい」と思えるようになった。それ以来、法話では繰り返し伝えています。

人はみんな、「死にたくない」から苦しむんです。競争も、承認欲求も、全部そこにつながっている。でも、その苦しみを抱えたままでも、「存在そのものが認められている」と感じられたら生き方は変わっていく。自分を救ってくれた言葉や教えを、誰かに手渡していけたらと思っています。

 

葬儀、法事・法要

  • 本堂での葬儀・法事・法要は10人程度まで。
  • 他式場、およびご門徒さまのご自宅でのお勤めも可能
    (県外など遠方への出張も対応
  • 控室はなし。駐車場、食事手配の紹介などあり

寺院情報

寺名(ふりがな) 照光寺 (しょうこうじ)
住職 脇本正範(わきもとまさのり)
郵便番号 275-0001
住所 千葉県習志野市東習志野3-13-27
電話番号 047-478-2664
ホームページ https://www.shokoji.org
交通

【電車】
京成本線 実籾駅から徒歩約18分

【車】
京葉道路 武石ICから12分

駐車場 2台
地図